30歳は人生の節目だ。「30歳になる前に○○」とよく言われるが、それと同じくキャリアという面においても自分を見つめなおす節目となる年齢だ。その30歳を迎えた本日の登壇者は何を考え、どんな思いでもって、これまでのキャリアを歩んできたのだろうか。新卒のときに考えていたことや、転職を想起したきっかけ、実際に30歳を迎えてどうだったかを紐解いていこうと思う。

登壇者
伊東 敏
株式会社POL 人事部(PX部)責任者兼CS部責任者(※イベント開催時役職)
慶応義塾大学薬学修士終了後、Sansan株式会社へ営業職として新卒入社。2015年、同社人事部門の新卒採用担当へ異動。以降、約5年ほど新卒採用に関りながら、採用企画、採用広報、戦略人事など人事業務全般を担当。2020年9月にカスタマーサクセス部の責任者として株式会社POLに入社。2021年3月からは同社PX部の責任者も兼務し、事業成長と組織成長を推進する。

北村 貴寛
スローガン株式会社 グロースアドバイザリー事業部部長
京都大学経済学部卒業後、伊藤忠商事にてIT関連クラウドサービスの日本展開やVC関連業務に携わる。スローガン転職後はGoodfindを通して就活生向けのキャリア支援を5年間にわたし担当。マーケティングの責任者や地方業務責任者、関西拠点責任者・外資系難関企業志望者向けの選抜コミュニティ立ち上げ等に従事した後、グループ横断の経営企画並びに自社新卒採用責任者を兼務。

新卒就活時に思い描いていた8年目(30歳前後)について

北村:正直なところ、就活時には30歳になったら1,000万円くらいの年収はほしいとか、経営に近いことをしたいということしか考えてなかったです(笑)伊藤忠商事入社後は、そこで現場の営業・海外出向・M&Aなどを10年程度で一回りして力をつけ、転職・起業・伊藤忠商事での昇進のどれかを選択できるようになっているといいと考えていました。

伊東:私は正直あまり考えてなかったです。目の前で楽しいことかどうか、その目の前のことと人生観でズレがないかということは見ていましたが、その途中は見ていなかったです。
新卒でSansanに入社したのは、私が変化を常に起こす組織にいたいと思っていたからです。いかに主体的に変化を起こせるかや、会社が起こす変化がいかに社会的に不可逆的になりうるかということがビジョンとしてあり、それとSansanがフィットしたと考えています。

20代で転職を想起したきっかけとその時に取った行動について

伊東:転職を意識したのは社会人2年目です。営業としての成果があまり振るわず悶々としていたこと、会社としても100人ぐらいのフェーズでカオスだったということがあり、迷いが生じていました。その時には、周囲の人に相談したり転職することについてどう思うか聞いたりしました。そして色々な意見を頂く中で、できない自分への言い訳を探していたということに気づき、今できる場所でもっと頑張るべきだと思い直して、結果的にコミットできるようになりました。

北村:私も同じようなタイミングで転職を考えています。社会人1年目の終わりの時、総合商社を1年経験した自分にどんな価値があるのかという不安に駆られ、先輩に相談したところ、エージェントへの相談を勧められました。転職は考えていませんでしたが、市場価値とは何か、キャリアをどう考えるべきかについて考え直したかったので、実際に転職エージェントに登録をして面談を行いました。Goodfind Careerへ登録後、代表の伊藤と面談することになり、結果的にはこれが転職の入口になりました。

ー伊東さんはコミットした結果、現在は場所を変えてご活躍されていると思いますが、何かきっかけがあったのですか?

伊東:あの段階では踏みとどまって良かったと思っています。しかし、30歳になると何かしら考えなければ…という北村さんと同じような葛藤に駆られました。そんな中、29歳ぐらいの時にヘッドハンティングをして頂いて何社か面談をしたり、それをきっかけにカジュアル面談をマッチングしてくれるサービスに登録して自ら会社に会いに行くということをするようになりました。
面談に行ってみて、自社を思い返したり、市場での客観的な評価の仕方を知って、やはりSansanが良いと思い直した時も何回かありました。このようにしてキャリアを考えるようになっていったと思います。そのころ、再び何社からか声をかけていただいたのですが、そのうちの一社がPOLで、事業領域と自分の課題感が強烈に重なったこと、自分の望む面白いキャリアを歩めると感じたことの2点が決め手となり、POLに入社しました。

きっかけというのは人によって様々で、もし不満があれば負のエネルギーで一気に進むと思うのですが、不満がなければ、今はきっかけだと気づいていないことがきっかけとなり、それが後になってわかることが多いのだと思います。

北村:伊東さんはSansanに新卒から8年いらっしゃって、会社の中でも勤務歴がかなり長い方だったと思います。ロールモデルもあまりないく、自分で考えて動かないといけなかったり、これでいいのか迷ったりするときがあったと思うのですが、当時モヤモヤしたときにはどうやってモチベーションをあげたのですか?

伊東:Sansanに入社した理由を何回も思い返すということをしていました。また、今の事業が不可逆的な変化を起こしており、まだここでやれるということを色んなシーンで思い直しながらやっていました。

また、動機などはアップデートされていくものだと考えていて、仕事をしていく中で後からついてくる考えをアジャストしていくことも必要だと思います。つまり、自分がその会社にいることをどう納得させるかはスキルであって、うそをつく必要はないが、起きている事象と変わったことに対してアジャストさせていくことが大事だと思います。

北村:とても共感します。私も転職してスローガン3年目までは、日々の業務でやるべきことがとにかく多かったこともあり突き進んでこれたのですが、3年目終えたくらいの時、つまり社会人5年目を終えたくらいのタイミングでこれでいいのか、自分のこの先は何なのかをふと考えるようになりました。そこまでの経験を生かして個人で独立する道などを考えたときもありました。ただ、ふと気づいたのは、自分が心の底から会社にコミットしている状態になっておらず、そのスタンス自体が限界を狭めているのでは?という部分でした。若さゆえの部分はありますが、Take思考な発想、つまり会社から何を得られるのか?という視点で、自分のために仕事をするという思考が当時はまだ強かったように思います。

もともとスローガンのミッションへの共感度は高かったものの、このときからより一層なぜスローガンにいるのかを考えるようになり、そこにアラインさせるために改めて自己分析を深めたりもしました。例えば28歳のときに急に親に電話をかけて幼少期の自分がどういう人間だったかを聞いたりもしました(笑)
こういったプロセスを経て、当時関西で責任者を務めていたのですが、自分に責任者として足りない要素の解像度がぐっとあがりました。自分のエゴから離れ、どれほど会社へのコミットメントを高めるかが重要ということに気づいたのです。実際にそこから、前提となるマインドセットが切り替わり、仕事の取り組み方の質もギアが変わった感覚があります。

実際の30歳・8年目はどうだったか

伊東:かなりの成長を実感できました。何もしなければ気づかないけど、内省したり、人と話したりする中で自分の考え方や受け止め方を振り返ったとき成長していると感じました。例えば、以前なら直接的に発言してしまっていたが、今はあえて遠回しに発言するようになったというようなことを色んな局面で感じています。

ーその成長を止めないために心掛けていることはありますか?

伊東:結果として成長しているという面白さは求めていますが、成長したいと思うこと自体が面白くないと思うタイプなので、成長するために心掛けていることは特にないです。しかし、価値観として「変化」「楽しさ」を大事にしているので、それらを業務の中で感じ取れているかは意識しています。楽しさというのは、仕事を楽しんでいるかということで、仕事が楽しいかではありません。仕事が楽しいかは周囲の環境によることが多いと思いますが、仕事を楽しんでいるかは自分の捉え方次第だと思うので、折に触れて仕事を楽しめているかを自問しています。

北村:私は前述の通り、20代後半は一種のエゴからの”解脱”の期間だったと思っています。20代中頃までは自分が楽しいことに主眼がありましたが、30歳に近づくにつれ、自分というリソースを社会の中でどこで貢献させるべきか?というメタ的な視点が深まっていきました。その視点から再度スローガンで目指せる世界を見てみると、ミッション・世界観がクリアになってきている中で、スローガンという船を大きくすることにコミットする方が面白いし価値があるという自信がついていきました。
また、実際に、自分がどうなりたいかという気持ちが強すぎると、会社や事業を伸ばすことに向き合わなければならないのに、意思決定の時にエゴが出て、いい意思決定ができず、会社も自分も成長できないということにも30前後で気づきました。”コト”に向き合って、いかに会社を伸ばすことにフォーカスできるかが大事だと考えられるようになったのが大きな変化です。

ーお話を聞いて、お2人の覚悟を感じるのですが、覚悟が決まったのはどんなときですか?また、自分にどんな問いかけをしますか?

伊東:転職の時には、POLに行きたいかもしれないという自分の心の変化をじわじわ感じていたことと、他の会社との比較の時はSansanが良いと思っていたが、その気持ちがずっとキープされていることに気づいたので、いまがそのときだと思い、覚悟を決めたという感じです。

また、現在はPOLでCS・人事の責任者を務めているのですが、人事の責任者を担うかということでもかなり葛藤していた時期があります。Sansanでは人事キャリアを歩んできましたが、事業部側で再チャレンジしようと考えていたり、CSとしての活躍を会社から期待されていたりもしていて、挑戦できたらチャレンジングだと思ったのですが、その反面、会社全体を見たときは人事にいった方がいいと考えていました。人事で突き抜けていくのかもしれないと思ったとき、それに対して葛藤はありましたが、嫌だという気持ちはなかったので、最終的にはそういう運命なのだと思って覚悟を決めました。

北村:私が覚悟を決めるときは責任感によって動くことが多いと思います。例えば、スローガンに入社するときも、この会社は伸びそうなのに今はあまり振るわないのかもしれないと思い、非常におこがましく、おせっかいですが、自分が入って何かやるべきなのではないか?と考えたり、事業部長に就任する際も自分がやって会社の成長に価値があるならやってみたいと思いチャレンジを決めました。キツイかもしれないけど責任感を与えられていることを意気に感じ、それが覚悟につながることが多いと感じています。

ー30歳ぐらいになると得意不得意が出てくると思うのですが、スペシャリストとジェネラリストどちらを志望していますが?また、ご自分の強み・弱みは何ですか?

伊東:30歳はまだチャレンジする年齢で、弱みだと思ってしまうのはもったいないと思うので、強み・弱みを自分で自覚はしていますが、表に出すことはしていないです。

北村:ソフトスキルにおいては誰とでもうまくやれるということが強みだと感じていますが、今まで行ってきたことはジェネラリスト・悪く言えば器用貧乏的な面が強く、ハードスキルでこれというものがないのは実は若干コンプレックスではあります。ただ、ソフトスキルを活かしながら、その会社に長く勤めていることによる社内での関係資産はすごく大きくて、ここにレバレッジかけていくことは大事な部分だと思っています。例えば自分自身はマネジメントというハードスキルがあったわけではないですが、結果的に社内での信頼関係を元に責任者を務めさせていただいています。責任者を長く務めればマネジメントの経験がたまって履歴書にもハードスキルで「マネジメント」と書けるようになると思いますし、それが結果的にジェネラリストをつきつめた結果、スペシャリストになるようなキャリアの形成につながるのではと思っています。

ー北村さんが述べられていたようにベンチャー企業ではジェネラリストっぽい業務内容を行うことが多い反面、転職市場では特定ポジションにおける業務年数が求められることが多いように感じますがそのバランスはどう取るのがいいのでしょうか?

伊東:私が転職するときは人事ポジションのスカウトが多かったですが、意外とそうではないところからも来ました。
100分の1になる方法は、100人で1位になるか、10分の1を2つ作るかの2つがあると思っていて、これがスペシャリスト思考かジェネラリスト思考かということだと考えています。前者に燃えるならスペシャリストとしての方が転職市場の中で、自分のやれることもあって評価もされると思います。一方で、色々なことをやりたいと思うなら後者の思考で、複数経験する中でアイデンティティを出していくと、ある意味でそれが100分の1になったりするのではないかと思います。

ー最後に、お二人にとって成長の意味とは何ですか?

伊東:楽しいことを増やすことができることだと思います。新しい領域にチャレンジするとき、自分が成長しなければやりきれないので、それは新しいチャレンジでわくわくして楽しいと思っています。その上では自分を高めないといけないという整理になるかなと思います。

北村:伊東さんの考えに大賛成です。成長した方がおもしろいことができるし、やれることも増えるから楽しいと考えてるので、楽しいことを追い求める結果、成長しなくてはならないという要素はあると思います。
といっても、自分のために成長しなくてはと思ったことは直近はあまりなく、スローガンという素晴らしい会社が世の中に対してあまり知られていない状態が悔しいという思いがあり、そのために自分ができることがあまりにも小さすぎるから成長しなくてはという気持ちが強くなっています。